Zero-Alpha/永澤 護のブログ

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A.1

道元1




分科会A
武者小路公秀(国連大学副学長・国際政治学者)

グローバル化に伴なうアイデンティティ・クライシス
―個と集団的アイデンティティとの再帰的統合と矛盾的自己同一―
  
グローバル化は、近代西欧市民・市場社会の「自己の利害を追求して競争する「個」」の原理をグローバル・スタンダード、グローバル・ガヴァナンスの前提と し、国家・民族アイデンティティとは折り合いをつけながら、非西欧諸社会の非国家諸集団のアイデンティティを否定する経済・政治・文化的なディスコースに 支えられた包括的な現象である。これが引き起こすアイデンティティ・クライシスは、個々人のアイデンティティ不安、血縁・地縁をはじめ共通の言語・宗教・生活をもとにする多くのアイデンティティ共同体の内部でも、その相互関係についても、深刻な紛争を引き起こしている。
このようなグローバル化の危機的な側面にたいしては、個ともろもろの集団的アイデンティティを再帰的に統合する必要があるが、それには個を含むさまざまなアイデンティティ間の矛盾的自己同一の可能性を探る必要がある。
本部会はこの問題を論ずる手がかりを模索する準備作業を狙いとしている。

問題1:開発・発展論は、個の確立に支えられた進歩=近代化として、もろもろの集団的アイデンティティの共生に努力してきた「前近代」伝統共同社会との矛盾をうみだしている。個の確立は、新自由主義的な利害計算主体としてか、内発発展論の自主性をそなえた変革主体としてか、その必要性は否定できない。しかし、集団的アイデンティティをすべて否定し、共同社会を個人に分解したのでは、開発途上社会のアイデンティティ・クライシスをいたずらに助長することになる。個と集団的アイデンティティとの再帰的統合は、極めて困難であるが、これなしには、開発・発展の矛盾はとけない。

問題2:人間の安全保障を求める声が高まっている中で、その市民の安全を保障する近代領域国家と、これを統括してグローバルな競争する人間(実は市場経済)の安全保障を一方的に推進する覇権国米国と、市民活動のグローバルな連携によって超大国・大企業にたいする市民の安全を保障使用とする動き、自分と自 分の所属するアイデンティティ集団(家族・むら)の生存と安全のために、開発途上社会の貧困地域から先進工業諸国に人身売買され、密輸される移住労働者の 犯罪組織に搾取されながらの安全追及の動きなどが、入り組んで、各所に安全を求めるためにかえって不安全が蔓延する傾向が一般化している。このグローバル危機を克服するためには、個をはじめアイデンティティ諸集団のアイデンティティ不安のあいだの諸矛盾を再帰的に統合する必要がある。

問題3:グローバル化に伴うさまざまな文化摩擦において、とくに西欧ではポストモダニズムによる近代啓蒙主義の克服が叫ばれ、非西欧諸地域では西欧近代文明がもたらした個人主義・世俗主義・商品化などを否定する動きがあらわれている。しかも、これらをテロリズムの背後にある「原理主義」的反近代主義として、文明の名において断罪する覇権的な傾向がある。しかし、西欧近代啓蒙主義が闘いとった人権・民主主義・法治主義などの諸価値を否定することは、グローバル化に伴う生態系系破壊や社会の困窮化などの諸問題の解決を不可能にする。したがって、個とアイデンティティ共同体との諸矛盾の再帰的統合が不可欠である。

個の可能性研究会ワークショップ2003分科会A

武者小路:武者小路でございます。よろしくお願い致します。今朝、問題提起をしましたので、改めて私の関心について申し上げることはありません。そこで、皆様の自己紹介をおねがいします。その時に、どういうことに関心を持ってらっしゃるかということもおっしゃってください。
自己紹介の後で、ペーパーを既に渡していただいて、ご発表いただくことになっている方々、それと先刻発表なさったことを掘り下げたい方々の順で、簡単なご報告をお願いします。私の方も、喋りたいことがありますけれども、むしろ皆様の共通の関心に合わるために発言をひかえます。先ず皆様の方の、新しい発表と、今朝の発表を補うご発言を基に、議論を進めることができれば良いと思います。そういうことで時計周りで自己紹介をお願いします。
佐藤春菜:昨年宮永先生にご指導いただいていた国際基督教大学の学生でした佐藤春菜です。今は会社に勤めております。よろしくお願いします。
武者小路:それで、関心とか何か・・・?
佐藤春菜:特にテーマは、今のところは・・・。
武者小路:それはそれで。よろしくお願いします。
津谷:津谷です。1993年にICUの人類学科を卒業致しまして、それから金融関係に就職し、その後不動産関係の営業の仕事をしています。ですから、そういう意味ではアカデミックなものからは非常に遠く離れてしまっています。ただ、日々の仕事の中で、新たな人に、どうしても仕事の上で出会ってしまうということは、日々、どんな環境にいても同じだと思います。
つまり、自分が信じたり思っている文脈が全く通じない相手というか、そういうものに出会ってしまうというのは、われわれが日々経験していることであって、そういうものとグローバル化の問題は、一見、非常に大きなものと小さなものに離れているものではあるんですが、どこかで繋がりがあるんではないかと思っています。
今回、全体として、自分は、マクロから見ているかもしれないんですが、いろんな意味で勉強したいなと思っております。よろしくお願いします。
矢野:矢野です。先程発表させていただきました。東京大学で助手的な仕事をしています。私はもともと宗教学を勉強しています。ただ研究の手法は人類学的なものです。主にタイの、東南アジアの研究をしています。何かご指摘がありましたら、よろしくお願いします。
森:国際基督教大学の森と申します。宮永先生にご指導いただいております。もともとは宗教学、日本思想史を学んでいたんですが、現在は人類学も学んでいます。今回は金光教教祖・金光大神の思想を取り挙げて、その中に、グローバル化における自己実現のヒントが見出せるのではないかということについて発表させていただきたいと思っています。よろしくお願いします。
邑中:邑中香津成と申します。1992年にICUを卒業しまして、その後、某情報通信の会社に勤めておりますサラリーマンです。仕事の内容は一環してインターネットに関する業務です。システム開発、それからインターネットを使ったビジネスの提案等、この七月一日からはコンサルティングを含めた営業の仕事をしています。
私は福井県の田舎の生まれで、当時は貨幣経済すら日常でないようなところ、つまりものを買うときにお金を払わなくてもお店の人が大黒帳につけてそれで大晦日にまとめて払えばよい、というようなところで生まれました。それが父の仕事の関係で、東京のど真ん中に来ることになりました。東京で物を買うときにお金払わなかったら万引きですよね、あちらで当然なことがこちらでは悪になってしまう。まあそんな体験などから、資本主義って何だろう、近代って何だろうって、ずーっと考えるようになりました。
学生の時には結局、解がでなくて、実際に大企業のサラリーマンになったら分かるんじゃないかと思ってサラリーマンになりました。ところが、のんびりと資本主義ってなんだろうなどと考えているうちに、世の中が急にきな臭くなってきまして、9・11以降、悠長に、抽象的に考えてられないような事態になってしまいました。
そこで今日は、最近少し変質したように見えるアメリカと、何も考えていないかのように見える日本、それが何故そのような状態になったのかということについて、サラリーマンとして生活している中での実感を踏まえて、何とかこう、理論と言うと特に語るものはないですけれども、自分なりに見つけた手がかりをサンデー学徒として発表しようと思います。
ちょっとですね、発表のベースとなる論文が、年明けから頑張ってきたんですが、子育てに追われたりなんやかんやで間に合わなかったもので、ラフ・ドラフトしかないんですが、ラフ・ドラフトなので、後で回収させていただきますが、お手元のそのプリントに基づきまして、現時点で私が考えている、これから日本は、あるいは企業は、集団、個人は、グローバル化、特に9・11以降の世界にどういう風に対応していけばいいんだろうか、ということを少し具体的に考えてみたいと思っています。案と呼べるほどたいそうな考えがあるわけではないですけれども、少し皆さんと考えてみたいと思います。よろしくお願い致します。
島添:島添貴美子と申します。現在私は、東京芸術大学の博士課程の学生です。日頃、芸大の中で、芸術家に囲まれて、生活しています。専攻は民族音楽学です。私の指導教官は、「民族音楽学は人文学と社会科学の幸せな結婚で生まれた学問である」といいます。しかし、芸大は芸術について学ぶことができても、社会を見る力を学ぶのは難しいところです。それで、人類学を学ぼうと言って、宮永先生の所にいき、そして、十年が経ち、現在に至っております。
昨年のワークショップでは、東京ディズニーランドを例に発表させていただきました。その際、私は、グローバル化を、マクロな視点で見る目が欠けているということに改めて気がつきました。もちろん、ディズニーランドについて論文を書いたおかげで、音楽のフィールドに戻ってみると、それまで見えなかったことが見えてきて、非常に楽しいのですけれども。もっと、経済や社会を、マクロで見るような視点を身につけたいと思っています。よろしくお願い致します。
佐藤壮広:佐藤と申します。都内の大学で非常勤講師をしています。専門は、宗教学、宗教人類学です。テーマは宗教的人間論です。人間の相互行為と言いますか、関係を織りなす中で、その人が生きる上での基本的姿勢や視点をどのように見つけていくのかのところに焦点を絞りながら研究しています。昨年のワークショップでは、沖縄本島のユタの儀礼をテーマに報告いたしました。小さいながらも、ユタが行なう平和祈願の儀礼の意味と射程は、現代の状況を反映しその状況の克服を自分たちの生活世界において目指そうとするものだという論点から、事例を報告しました。
今回は、奄美本島で観光産業を営む人が、自己アイデンティティの再構築のために観光客を呼び寄せ、その観光客らと地域の村人たちとの交流の仕掛けを創っているという事例をお話ししたいと思います。単に儲けるために観光客を呼び寄せるのではなく、自分たちが何者であるのかを確認するために観光客に来てもらっている。それを「出会い型観光」と言っていますが、それらの事業の一端を、グローバル化の中の地域おこしと癒し、という視点で述べてみたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。
三入:三入と申します。宮永先生の校外活動に、色々と参加したことがありまして、参った次第です。私は理工系でですね、一つの会社に長年勤めてまして、今は、リタイアしています。ちょっと思い出すと、ちょうど四十年くらい前ですが、初めて海外出張に行かされまして、ある種のカルチャーショックを受けました。その後も色々感じることがありましたが、今一番関心があるのは、西洋近代っていうものは、何であったのかということです。
それから、社会科学という用語に抵抗がありまして、簡単に言いますと、社会科学という言葉は止めた方がいいんじゃないかと・・・勝手な考えを持っています。そういうことを、見直さないと、二十一世紀の危機を回避できないのではないかと、そんなことを考えております。
品川:品川と申します。私は国際基督教大学にいた時に宮永先生のゼミにおりまして、その後卒業して、シカゴ大学の社会科学科で大学院、マスターの課程を昨年の昨年の六月に修了しました。現在仕事を捜している状態です。来週からトロントに行って、移民関係の会社でインターンをする予定です。
今回この分科会では、「和」をキーワードにしていまして、それについてクエスチョンが二つあります。一つは、「伝統」っていうことに対するクエスチョンで、例えば日本でしたら、いったい何が本質的な伝統なのかということです。もしも本質的な伝統というものがないならば、再構築された伝統、つまり、現在私たちがコンセンサスとして持っている「これが伝統なんだ」と思い込んだものが伝統であることになります。そうであるならば、その思い込んでいる伝統といったものをどのように使っていったら、私たちは自己実現できるかが、一つのクエスチョンです。
もう一つはこの「和」を広めていくという話に関連することです。70年代の終わりから80年代にかけてあった「国際化」というタームと共通して、日本に海外に飛び出るという意味の国際化の他に、海外に日本のものを送り出していく、言葉、運動があったと思います。そこの部分と、今回のこの「和」を世界的に創っていくという部分が、どのように違うか、同じかということ。また、新しく発展させていったこの国際化には、以前のものに比べてどのような部分が異なっている部分があるのかに関心があります。そのようなわけで、今回参加いたしました。
野口:僕が一番最年少だと思うんですけど、まだ学部生で、ICUで四年生の野口と申します。専攻は、皆さんの多くは、宗教学とか、社会学・人類学ですけど、僕は政治学・政治思想史が専門で、ICUでは、千葉真先生に指導して頂いています。それが一つです。
あともう一つやっていることがあって、去年からずっとアメリカ研究をやっています。アメリカという国をなぜ勉強しようと思ったかというと、多分9・11以降のことであって、なんか分かんなくなった、というのがすごくあったんですね、アメリカに。それで、交換留学しようとも思ってたんですけど、入るのが怖くなった、っていうのが事実で。やっぱ怖くなりましたね。それで・・・まあそういうことで・・・アメリカ研究をやっています。よろしくお願いします。
太田:初めまして。太田昇と申します。現在、学生ではなくて、あるドイツ系のソフトウェアの企業で働いています。こちらの会で、いわゆるちょっと大きなマクロ的な視点とミクロ的な視点を、自分の中で融合させ、仕事に活かしたい、もしくは自分の人生に活かしたいと思って参加しています。よろしくお願いします。
野田:野田と申します。ICUで以前宮永先生の下で勉強させていただいておりました。今は学生ではなくて社会人なのですが、今一番関心があることは、人が変わる瞬間というか、人のアイデンティティ、そういった意味で、新しいパラダイムに出会う瞬間というか、そういうのはどんなときにどんなふうに起こるのか、とか、そういうことにとても関心を持っています。
その一つに、「他者」との出会いとか、自分とは違う文化に出会った時にそれが起こり得るのではないかと思っていて、そういった関心を持っています。特に研究をしているとか、論文を書いているとかではないのですが、そのような問題意識を持ちながら、日々生活しています。よろしくお願いします。
武者小路:これで一渡り自己紹介がおわりました。みなさんの大体の問題関心についてもうかがうことができました。私が関心を持っていることはすでにもうしあげましたように、矛盾的自己同一ということです。これは、要するに、アイデンティティが違うから、けっきょくは同じなんだ、ということです。ですから、皆さんの問題関心が違うからこそ、その同じところを掘り起こすことが、矛盾的自己同一の実践だということです。そんなことで、これからの討論を、何とかまとめることができればと思います。それで、ディスカッション始める前に決めていただきたいことがあります。全体討論の時に、ここでどんな話をしたかということが問題になるかもしれませんが、私はどうしても四時半くらいに出なければいけないので、できましたら、森さんにレポーターをお願いできたら幸いです。それから、自己紹介で、今、報告をしてもよいということを森さんと、邑中さんと、佐藤さんに仰っていただいたので、まずご発言をいただき、そのあと、佐藤さんには奄美の事例だから、島添さんの事例に繋がるとおもいますので、そのようなことにもふれていただいて、朝、話をされた方に、また付け加えるところがあったらご発言いただくということにさせていただきたいと思います。それで、島添さんを、佐藤さんの後にご発言いただき、それから矢野さんにご発言をいただく、という順序でご発言いただき、その後自由にディスカッションすることにいたします。そのディスカッションの中で、私の今朝言ったことにも、おふれいただければと思います。
それでは、先刻言いましたように、レポーターもお願いしています森さんから先ずお話いただいて。今朝と同じで、長かったら止めることはいたしませんが、一応十分位ということでお話いただけるといいと思います。
森:私は、自己実現には、「他者」との対話が重要な要素になってくると思うのですが、その中でも特に今回は、神秘の要素を持つ「他者」との対話、ということを考えてみたいと思います。
 グローバル化によって生じる価値の相対化=アイデンティティ・クライシスの問題は、一般的には、現代社会がもたらしたものと考えられています。しかし、私が見るところ、この問題は、近代化の過程ではじめから生じていたと考えられます。日本の場合、幕末維新期の民衆宗教の教祖たちは、独自の救済論を創出することで、そうしたクライシスからの脱出を図りました。本発表では、その中から、金光教教祖金光大神のケースを取り挙げます。その理由は、金光大神の救済論が目的とする、個の確立と自己変革の課題が、グローバル化時代を生きる我々に示唆するものが少なくないと思われるからです。
私たちにとって参考になると思われます第一の点は、金光大神の自己実現に見られる神秘と合理の相補性です。金光大神は、従来の土着の個別的な、機能神的な神を、普遍的な神として把握し直し、その神への信仰を通して、合理的なものの見方を獲得しました。この神は先ず、一方で垂直的な位置から人間を救済する普遍的な存在として把握されます。しかし他方で、これは、金光大神の言葉なんですけれども、「おかげはわがこころにあり」という金光大神の言葉が示すように、この神は、ひとのこころにも内在し得るものとされます。金光教における「生き神」とは、このような神のはたらきを指すのです。ここにおける神と人との関係は、「あいよかけよ―これは、相より相かかわるということなんですけれども、お互いに助け合いながら成り立っていく、ということです―で立ちゆく」もの、協働によって結ばれるものとされます。ひとは、人間を救いたいというこの神の願いに耳を傾け、神との「対話」を通した絶えざる内省を行うことによって、自己解放へと導かれるのです。金光大神は、この世の至るところにいる「難儀な氏子」、すなわち全人類を救いたいというこの神の意志と、それを可能にする力を感得し、その正当性と普遍性とを悟りました。そしてそうした神の意志の実現に我が身が関わることの重要性を知り、その目的を追究するために、意識的、継続的に考え、行動しようとしたという意味での合理性を獲得したのです。
金光大神のこうした内省は、神との緊張関係の中で生まれたものです。神と人との緊張関係ということについて言えば、神の意志を一方的、絶対的なものと捉え、神とひととは隔絶した関係にある、という捉え方もあり、それによって生み出される合理性もあり得ると思います。しかし金光大神と神との関係はまさに「協働」であって、そこでは、神の意志とひとの意志とは双方向的、相補的なものであり、人間の主体性が問われるものなのです。従って、それは、既存の価値に囚われない、そして新たな時代の抑圧にも耐える強靭な主体の形成を促しました。そして、神の意志を呪術的にコントロールしようとするのではなく、自らが、主体的に神の意志に関わっていくことの重視によって、従来の呪術の克服がもたらされました。
第二に参考になる点として、こうした合理性が土着的な信仰から生まれていることが挙げられます。言い換えますと、私は去年、ファンダメンタリズムについて発表したんですけれども、伝統を固定化する、これはファンダメンタリズムですけれども、そういうことをしたり、伝統を切り捨てたりするのではなく、批判的に再構築することが、グローバルに対するローカルにおける、独自の自己実現を可能にするのではないか、と思います。但し、思想史的に申し上げますと、金光大神が掬い上げた土着的な信仰は、ともすれば、いわゆる神秘主義に偏るおそれがあったと思います。その場合、自らが神と同一化し、伝統的な「ヒトガミ」思想に回帰する、そういった可能性を孕んでいたと思われます。そうなると、現人神、つまり天皇を受け容れ、天皇崇拝を支える素地ともなりかねない危険性を持つものであったと言えます。しかしそのことを認めてもなお、土着的なものを媒介することの意義を、金光大神のケースは示していると考えています。
武者小路:今朝と同じように、何か今のお話を聴いて、語句とか表現とかでご質問がありましたら、お願いします。
野口:最後のところで、金光教がですね、現人神=天皇崇拝を、天皇崇拝を支える素地ともなりかねない危険性を持つ、とあるんですけれども、それは、何か、事象として、実際に金光教が天皇崇拝を支える素地となったような事象があるのか、それとも、金光教の教義から教理的に考えて、そういう素地があり得る、という指摘なのか、どちらなのか。
森:現実にそういうことがあったということではなくて、教義的に、です。神様との対話の中で緊張関係を失ってしまった時、つまり、「神と私」という対話ではなくて、「神は私」という状態になってしまえば、それは自分がヒトガミである、と、そういった「ヒトガミ」信仰に陥ってしまう、と、それは天皇=ヒトガミ=現人神信仰にもつながってしまう、そうした危険性はあった、ということです。金光大神は、そうした状況には陥りませんでした。
三入:最初のところで、神秘と合理の相補性という言葉を使っておられますね。私も非常にこの言葉には関心を持っているんですが、森さんはこの言葉をどこから用いられたのか、或いは、金光教自身が、そういう言葉を使っているのかどうか。
森:これは私が自分で・・・。
三入:相補性という言葉は、あまり一般的じゃないが重要な概念だと思うんです。これはどこから・・・金光大神は既にそういう言葉を日本で使っていたのかどうか、その他何か、本の中に、こういう言葉が出てくるのかどうか、そういうことを教えてもらいたいのですが。
森:金光大神自身がそうした言葉を使っていたわけではありません。私が、金光大神の思想について見ていくうちに、彼においては、神秘の要素との出会いが、合理性の獲得を可能にした、ということが明らかになってきて、そこから、神秘と合理というのは、相補うことがあるのではないか、と言う風に考えて、このように使っています。
三入:森さん自身は、相補性という言葉を、かなり身近な言葉として今まで使っておられましたか。
森:今回金光大神について見ていく中で、意識的に使うようになった言葉です。
武者小路:私もちょっと質問したいことがあります。合理ということについてのご説明を聴くと、私が考える合理とは違うということは分かるのですが、一応それを確かめたいと思います。それは、現世利益ということについてです。現世利益というのは、極めて合理的な宗教観にもとづいた発想だと思うんですが、お考えになっておられるのは、そういう現世利益的な合理性じゃないわけですね。
森:そうです。神の意志、神の目的を知って、それを自分の目的とし、それを果たすために批判的、継続的に自らの行動について考え、それを律していこうとした、という意味での合理性です。
武者小路:そういうことですね。お考えになっている合理性は、ウェーバーの価値合理性で、現世利益の目的合理性ではない。そのことだけちょっと確かめたかったのです。それでは、次のご報告を。
邑中:はい。先程自己紹介のところでも少し触れさせていただいたんですが、現在グローバル化が引き起こす様々な問題が、アカデミックなレベルだけにとどまらず、一般の週刊誌ですとか、テレビのニュースやバラエティ、そういったところ、それからサラリーマンの居酒屋談義の中でも繰り広げられています。これに対して、アイデンティティ・クライシスというキーワードから、この問題を考えていこうという視点が与えられているところに、この個の可能性研究会の一つの役割があるように思います。
 グローバル化の問題ですが、皆が話題にするということは、それだけそれぞれ自分にかかわる問題として考えているということなわけですけれども、その分だけ問題が拡散してしまって、問題の本質は何なのか、というところが大分見えにくくなっているところがあると思います。それからまた逆に理論的な研究が進むにつれて、今度は、市井のですね、普通の人たちの考えていること行動していることと理論との間に乖離があるんじゃないか、という危惧もあります。
お手元のプリントは、そこの橋渡しができるにはどうしたらいいのか、というところを目的に少しまとめてみたものです。まとめと言っても、まだ試作品のようなものですので、少し論点が拡散するところもあるかもしれませんが、現時点のまとめということでお聴きいただければと思います。
先ず、「グローバル化」の定義について確認をしたいと思います。私が言う「グローバル化」ということですね。「グローバル化」については既に色々な人が定義していますので、ここで新しく私が定義をしても屋上屋を重ねることになってしまうので、よく似た言葉との差異の中から、「グローバル化」について浮かび上がらせたいと思います。ここで取り挙げるのは、「世界化」、「国際化」、「都市化」です。
先ず、「世界化」ですが、今日は時間もありませんし、宮永先生がご著書でまとめられているのを皆さんお読みになっていると思いますので、『「世界化」とは、経済の、或いは政治経済の世界への拡大という概念で、「グローバル化」というのは、これに反統合、逆のベクトルの動きを内包する複雑なものである』、という理解で、差し当たりはいいと思います。それからですね、「世界化」というのは対岸の火事のような言葉ですが、「グローバル化」というのは、危機という文脈で語られている言葉だという違いがあります。それは何故かというのは、後で触れたいと思います。
次に、「国際化」ですけれども、「国際化」とは、先程品川さんも触れてましたけれども、日本の、ある意味、目標だったわけです。日本の工業製品を世界に輸出していこうとか、日本も立派な国になって、世界に認められるようになるんだ、というような、具体的な目標であった。ところが、最近言われている「グローバル化」というのは、否応なしの文脈でありまして、世界に日本の良い商品を売っていくんだ、ということではなくて、グローバル・スタンダード、最近ではデファクト・スタンダードと、言葉が変わってきていますけれども、何かしらある世界標準のものに合わせていくんだ、という姿勢が取られている。つまり、「国際化」というのは、政治・経済・文化の『目標』であったのに対して、「グローバル化」は『現実』である、と。「国際化」は主体的にかかわっていくものであるのに対して、「グローバル化」は、現実の描写である、という違いがあります。
ここまでの、「世界化」と「グローバル化」、「国際化」と「グローバル化」については、色々な諸文献にも出ているんですが、もうひとつ、さらに、「都市化」というものを考えてみたいと思います。4ページのところですけれども、一番最後のところです。『「グローバル化」とは、経済・文化の世界的な拡大統合を意味しながらも、拡大統合の拡散的な記述である点で、「国際化」していない国や企業の主体的な目標である「国際化」と区別され、また、反統合の動きをも内包した記述である点で、拡大統合の一面的な記述である「世界化」と区別される。しかしながら、「グローバル化」が、経済・文化の世界的な拡大を意味している、かつ反統合の動きをも内包した記述である、とするならば、この定義は、地理的な広がりの規模を別にすれば、そのまま「都市化」の定義にも当てはまるのではないか』。
「グローバル化」と「都市化」。一見遠そうな二つの言葉ですが、実は重なる部分がだいぶある。どういうことかと言いますと、日本においては、工業の振興によって、農業が経済的な地位を下げていきました。社会全体が農業中心から工業中心になっていったわけですけれども、その過程で、今まで田んぼだったところがつぶれて、工場が建つ。工場が建つと当然工場で働く人たちが色んな地域からやってきますので、その人たちの住宅が必要になる。その住宅は、近代的な工法によって建てられますので、今までの農村にあった、瓦葺の家やその他伝統的な家、例えば、日本海側ですと、門のない、生垣があって、小道があって、奥に母屋がある、といったようなつくりとは全然外見も別のもの、ツーバイフォー住宅みたいなのが、ばんばんばんと建つ。これは外面的な変化ですけれども内面的な変化もある。例えば、そこの工場で働くひとたちにも子供が生まれます、子供たち学校へ行くんですけれども、そうすると、その親の職業で対立がある。よそ者対田舎者、みたいなレベルかもしれませんが、地域内の新しい対立が出てくる。アイデンティティの対立です。一方、東名阪といった大都市圏に出てくる人たちは、田舎者のレッテルを自らはがして、一生懸命都会化しようとして頑張るわけです。その過程で、個々人のアイデンティティ・クライシスは当然出てくるわけですけれども、「都市化」においては、あまりそういった個人の危機というのは問題にされず、何故か、「グローバル化」においては、アイデンティティ・クライシスが非常に問題になる。「都市化」だって「グローバル化」だってある意味、産業化に遅れた人々の産業化の最先端に対する戦いなわけです。個人においては同様の課題の解決を迫る「都市化」と「グローバル化」なのに、どうしてこうも人々の受け方が違うんだろうか、というのが問いとして残ります。
一つ理由として考えられるのは、先程の「都市化」と「グローバル化」の定義の問題に関係してくるんですけれども、日本の「都市化」は戦後復興から高度成長という国家目標の結果として生じてきている、ということがあります。要するに敗戦はアイデンティティ・クライシスであって、皆新しいアイデンティティを欲しがった。それで皆で一丸となって経済成長のために頑張ってきた。この経済成長のために一丸となって頑張ることが新しいアイデンティティだった。経済成長という共通の目的があって、そこから落ちこぼれるということは、マイナスの価値であり、それに対して疑問をはさむということは、あまり重視されなかった、ということだと思います。
ここでちょっと整理が必要かと思うんですけれども、私が今言っている「都市化」というのは、昭和の20年代から30年代、それから「国際化」っていうのは、昭和の40年代から50年代にほぼ対応するものとして考えています。「都市化」というのは極論すれば文明が始まって以来ずっと「都市化」なわけですが、私は日本という文脈の中での「都市化」、戦後の日本の都市化という狭い意味で使っています。
でですね、話しをもとに戻して、日本における「都市化の時代」と「国際化の時代」を、「グローバル化の時代」に先立つものとして整理することによって「グローバル化の時代」にどう対処するべきかの解を探ることにします。
「都市化」というものは、個人のアイデンティティ・クライシスに対する一つの答え、というか、高度経済成長の波に乗ることによって個人がアイデンティティ・クライシスから消極的には眼をそむける、積極的に言えばそれを乗り越えるものとして機能してきた、ということが言えるかと思います。
そうやっていくうちに、日本がどんどんどん経済成長していく、で、し過ぎていきます。例えば、1960年代には、繊維産業が貿易摩擦の一つの題材として、主に対米関係で問題になる。繊維産業の次は、自動車ですとか、カラーテレビとか、鉄鋼業とか、産業構造が当然変化していきますからどんどんものが変わっているわけですが、貿易摩擦はさらに大きな問題となっていきます。例えば、1971年には、アメリカの対日貿易収支が80年振りに赤字に転落して、非常にマスコミ等で話題になっています。そうなってくると、今度は、がむしゃらに働くことで個人のアイデンティティ・クライシスを乗り越えるということが、社会的に許されなくなってくる。がむしゃらに働くと、どんどん貿易摩擦を助長するわけですから、そうじゃないものにアイデンティティを求める必要が出てくるわけです。そこで、何が代わりになったかというと、ナショナル・アイデンティティです。その証拠に日本論ブームが起きたのが、九ページのところに書いてますが、昭和40年代から50年代です。貿易問題が激しいころですね。具体的に言うと、脚注の9番なんですけれども、『菊と刀』とか、中根千枝『タテ社会の人間関係』とか、梅棹忠夫の『文明の生態史観』とかが、これ全部昭和42年に出ています。それからアカデミックな評価は別として、一番ブームになった日本論とも言える『日本人とユダヤ人』が昭和45年。三年後ですね。それからその翌年には、『甘えの構造』が出ていたりとか、あとは『日本人の阿闍世コンプレックス』と、浜口恵春の『間人主義の日本』が、昭和57年ですか。この時期に日本人論が立て続けに出てきた。これは、何でブームになったかというと、それだけがむしゃらに働くことに代わるアイデンティティが、ナショナル・アイデンティティが求められたということだと思います。
勿論、貿易摩擦は「対日」貿易摩擦ですから、外国人の目もあります。物の輸出に伴って日本人も外に出て行きますから、日本人っていきなり出てきて何なの?、Who Japanese?って言われる時代にもなっていくわけです。そこで、外国に対して、こういうのが日本人です、と説明する必要が出てきた。ところが当初出てきた日本人論は、アイデンティティ・クライシスの代用物として国内向けに登場したものであるために、海外に対して、日本人はこういうもんだよ、と説明するための解としては不十分だったので、それに対する解は、やがて外国人から出されることになります。リビジョニストとか言われる知日派の外国人による日本人論が1980年代後半に集中的に登場してきたのも、これは必然なんです。 
実はそうやって、日本が着目されてきたのは日本の経済力が豊かだったからであって、バブルが崩壊して以降はあまり着目されなくなりました。丁度、「グローバル化」が言われだした時で、逆に言うと、日本が着目されなくなった時点で、「国際化の時代」は終わっていると、そう理解して良いかと思います。

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